高山は名古屋と日本海側のあいだ、飛騨の山あいにある町で、木を扱う人たちが築いてきました。黒い木の家が並ぶ町並みは、訪れた人がまず写真に撮る景色です。けれども長く泊まる理由は、その家の中で作られているものにあります。イチイの彫り物、透き漆をかけた盆、ブナを曲げた椅子、そして町が何百年も守ってきた祭の屋台です。
この記事では、高山に2泊か3泊する価値をつくる手仕事を、何が見られるか、誰が作るか、何を持ち帰れるかに沿ってたどり、最後に泊まる場所と行き方をまとめます。高山市の外国人宿泊統計、神社や資料館、作り手、宿の頁、国の観光機関、日本政府観光局のスペイン語サイトに載った旅の記録を読み、どこにも問い合わせはしていません。出典は最後にあります。近くの合掌造りの集落に泊まる話は 白川郷に泊まる 2027年版:手配と訪ね方 → にあります。
要点
- 2025年、高山市の宿泊施設が数えたスペインからの宿泊者は52,730人で、市の表に載るヨーロッパの国の中で最も多い数でした。訪日外客全体に占めるスペインの割合は0.6%です。
- 757年から、飛騨の国は税を大工の働きで納めることができ、毎年およそ100人が都へ送られました。その流れをくむ職人が祭屋台を彫り、今も中に入れる商家の住まいを建てました。
- 高山祭は毎年4月14日・15日と10月9日・10日に開かれます。それ以外の日も、高山祭屋台会館で本物の屋台を見られ、展示は年に3回入れ替わります。
- 一位一刀彫はイチイに色を塗らず鑿の跡を残し、飛騨春慶は透き漆で木目を見せます。どちらも1975年に国の伝統的工芸品に指定されました。
- 飛騨産業は1920年から地元のブナで曲木の椅子を作り、古い町並みにギャラリーを構え、日によって工場見学も行っています。
スペインの旅行者が高山に多く泊まる理由
高山市は数をていねいに数えています。市は毎年、市内の宿泊施設に聞き取りをしており、2026年2月にまとめた2025年の報告では、外国人の宿泊者は978,312人で、前の年より27.1%増えました。スペインからは52,730人で、前の年の42,686人から増えています。市の表に載るヨーロッパの国の中でいちばん多く、イギリスの37,760人、イタリアの30,717人を上回り、全体でも台湾、中国、アメリカに次ぐ4番目です。
目を引くのは割合です。市の比較では、2025年の高山の外国人宿泊者に占めるスペインの割合は5.4%で、市が載せている日本政府観光局の数字では、訪日外客全体に占めるスペインの割合は0.6%です。日本を訪れるスペインの人は、ほかの国の人よりずっと高い割合で高山に足を運んでいることになります。私たちは、ものがどう作られるかを、歩ける速さで見たいというスペインのお客様の多くに共通する望みに、この町が応えているからだと見ています。
税を大工の働きで納めた飛騨
国の観光庁の多言語解説では、こう説明されています。757年に施行された養老律令には飛騨の国についての特別な定めがあり、米の代わりに労役で税を納めることができました。毎年およそ100人の大工や木工職人が5人一組で都へ送られ、4人が職人として働き、残る1人は食事の用意や手伝いをする見習いでした。東大寺、石山寺、春日大社の造営にも加わっています。この仕組みは鎌倉時代(1185年から1333年)に終わりましたが、飛騨の匠という呼び名は残りました。
その技は飛騨に戻りました。江戸時代の終わりに商人の家づくりの制限が解かれると、高山の豪商は匠を雇い、それまで許されなかった家を建てました。そのうち2軒が大新町に並んでいます。日下部家は天領時代に代官所の御用商人を務めた家で、明治8年(1875年)の大火で類焼したのち、明治12年(1879年)に名棟梁の川尻治助が江戸の様式を忠実に再現して建て直し、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されました。今は日下部民藝館として、土蔵で民芸品を見せています。隣の吉島家は生糸と繭の売買、金融、酒造を営んだ家で、二度目の類焼のあと明治40年(1907年)に再建され、主屋は大工の西田伊三郎が手がけました。岐阜県の観光案内は、天窓から差す光が幾重もの梁を伝って磨かれた床を照らす様子を伝えています。どちらの家でも、土間に立って上を見上げてみてください。
飛騨の農家の暮らしについては、日本政府観光局のスペイン語サイトに、エバ・ゲレーロさんが飛騨の里を訪ねた記録が載っています。飛騨の古い建物30棟あまりを移した野外の博物館で、蝉の声の中、ほとんど人のいない家々を歩いたと書いています。
祭屋台と二つの祭
高山祭は、実は二つの祭です。春の4月14日・15日は日枝神社の祭で屋台は12台、秋の10月9日・10日は櫻山八幡宮の祭で屋台は11台です。屋台は国の重要有形民俗文化財で、祭はユネスコが2016年に記載した「山・鉾・屋台行事」の一つです。日付は動きません。観光協会によると、雨の日は行事を縮小または中止し、別の日に延ばすことはなく、市街地の宿は半年以上前から満室になります。秋の日程は、スペインの国の祝日である10月12日の少し前にあたります。
ほかの日には、櫻山八幡宮の境内にある高山祭屋台会館で秋の祭の本物の屋台を見られます。神社によると、高山祭の実物の屋台を常に展示しているのはこの会館だけで、展示は3月下旬、7月下旬、11月中旬の年3回入れ替わります。神社は、布袋和尚と唐子2体のからくり人形を9人の綱方が36本の操り綱で動かす布袋台や、彫刻の名手、谷口与鹿による四季の花が欄間を飾る金鳳台を紹介しています。大神輿は重さ2トン半で、80人の担ぎ手が要るといわれます。近くで見ると、一台の屋台に組物、彫刻、漆、金具、刺繍が集まっていることが分かります。
一位一刀彫と飛騨春慶
一位一刀彫は、岐阜県の木であるイチイだけを使います。色は塗りません。彫り師は赤みのある芯の「赤太」と白い外側の「白太」を見極めて図柄に生かし、鑿の跡を残して仕上げます。年月とともに木は温かな茶色に深まり、つやを帯びます。始まりは江戸時代後期の高山の根付師、松田亮長とされ、1975年5月10日に国の伝統的工芸品に指定されました。根付や干支の動物から、面、茶道具、仏像まで作られています。生まれ年や記念日、家名にちなむものを望まれる場合は、注文を受けていただけるか彫り師にお願いしてみます。お受けいただけるかと仕上がりまでの時間は、彫り師の判断です。
飛騨春慶は透明な漆で仕上げるため、檜やサワラ、トチの木目がそのまま見えます。高山市に伝わる歴史では、始まりは江戸時代初めの慶長年間です。大工の高橋喜左衛門が割ったサワラの木目の美しさに目をとめて盆を作り、のちの茶人、金森宗和として知られる金森重近に献上しました。重近はこれを塗師の成田三右衛門に透き漆で仕上げさせたといいます。1975年2月17日に国の伝統的工芸品に指定されました。木地師と塗師が一つの品を分け合って作り、盆、重箱、菓子器、茶道具、花器、文箱などがあります。使ううちに漆の色とつやが変わり、木目がいっそう際立つので、重箱や茶盆は家で使いながら育っていきます。
ブナの森から生まれた椅子
飛騨の家具は、使い道のなかった木から始まりました。飛騨産業の沿革によると、周りの山のブナは炭か下駄の歯にしか使われていませんでしたが、地元の有志が1920年に会社を興し、このブナで曲木の椅子を作り始めました。1929年にはベルギーの国際博覧会に曲木椅子を出品しています。今は原研哉さん、隈研吾さん、柳宗理さんといったデザイナーと家具を作り、ホテルなどに向けた特注の家具も手がけています。
古い町並みの上一之町にある「遊朴館 HIDA GALLERY」では、手仕事と木工具を紹介しています。営業は10時から18時で、水曜と第3木曜が休みです。日によっては、第一工場で13時から1時間ほどの工場見学があり、材木や機械、職人が働く様子を見られます。椅子は盆よりずっと大きな買い物で、スペインへ送れるかは選ぶ前に店と決めておくことです。そのやりとりは私たちがお引き受けします。
1946年に高山で創業した日進木工は、同じ技の別の顔を見せてくれます。2018年6月に公開された名古屋城本丸御殿の復元では、木曽檜の板戸、障子、襖、欄間などおよそ1,200本の建具を納めました。名古屋から山へ向かう旅なら、列車に乗る前に本丸御殿で飛騨の建具を見ておくのがよい入り口になります。
泊まる場所と行き方
古い町並みの中では、日下部家の隣にある築100年ほどの離れを改装した「TANIYA」が、一晩に一組だけを迎えています。茶室、土間の食事の間、中庭、総檜の風呂、地元の職人による家具があり、泊まる人は日下部家を専用のラウンジとして使えます。イチイの古い森や地元の職人を訪ねる案内もあります。この記事の手仕事の中で眠りたい方に向いています。
町の外、一之宮町の「和の里」は、宮川のほとりの四つの棟に四つのスイートを持つ宿で、ザ・リョカン・コレクションに加わっています。春慶塗で仕立ててテラスを持つ108平方メートルの離れ、囲炉裏のある110平方メートルの古民家、80平方メートルの合掌造りの離れがあります。川と森に囲まれて、ゆっくり過ごしたい方に向いています。
日本政府観光局によると、列車で名古屋から約2時間20分、富山から約1時間30分です。金沢からは白川郷を通る道になるので、三つを一つの道筋にまとめられます。金沢そのものについては 金沢 京都の次にゆっくり歩きたい城下町 → をご覧ください。7日から21日の旅をつくる Signature では、高山に2泊か3泊を置き、最初の朝の屋台会館、滞在中に日があれば工場見学、受けていただける彫り師や漆の工房での時間を手配します。
出典と確かめ方
2026年11月5日に、下の頁を読みました。移動時間は日本政府観光局のもので、丸めています。神社、資料館、作り手、宿、そのほかどこにも問い合わせはしていません。
- 高山市 令和7年 外国人観光客宿泊統計:外国人宿泊者978,312人、27.1%増、スペイン52,730人(2024年は42,686人)、ほかの国の人数
- 高山市 令和7年 国・地域別の人数・構成比:スペインは高山の外国人宿泊者の5.4%、訪日外客の0.6%
- 観光庁 多言語解説文データベース 飛騨の匠(英語):757年の養老律令、毎年およそ100人を5人一組で、東大寺などの造営、鎌倉時代に終了
- 櫻山八幡宮 高山祭屋台会館へようこそ:実物の屋台を常に展示する唯一の施設、年3回の入れ替え、布袋台と金鳳台、大神輿
- 櫻山八幡宮 英語の頁(英語):春の祭は屋台12台、秋の祭は11台
- 飛騨・高山観光コンベンション協会 2026年 秋の高山祭:日程、雨でも延期しないこと、市街地の宿は半年以上前に満室、春の日程
- ユネスコ 山・鉾・屋台行事(英語):代表一覧表への記載(2016年の決議 11.COM)
- KOGEI JAPAN 一位一刀彫(英語):イチイだけを使う、着色しない、赤太と白太、松田亮長、1975年5月10日の指定、主な品
- KOGEI JAPAN 飛騨春慶(英語):透き漆、慶長年間の始まり、高橋喜左衛門と金森宗和、1975年2月17日の指定、主な品
- 飛騨産業 沿革:使われなかったブナ、1920年の創業、曲木の椅子、1929年のベルギーの博覧会
- 飛騨産業 遊朴館 HIDA GALLERY:上一之町の所在地、営業時間と定休日、13時から約1時間の工場見学
- 飛騨産業 英語サイト(英語):原研哉、隈研吾、柳宗理との家具、施設向けの特注
- 日進木工 名古屋城本丸御殿 復元工事:木曽檜の建具およそ1,200本、2018年6月の公開
- 日下部民藝館 公式サイト:代官所の御用商人、明治8年の大火、明治12年に川尻治助が再建、昭和41年に重要文化財
- 岐阜県観光連盟 吉島家住宅:家業、明治40年の再建、西田伊三郎、天窓と梁
- TANIYA 公式サイト(英語):日下部家の隣にある築100年ほどの離れ、一晩一組、イチイの森と職人を訪ねる案内
- 日本政府観光局 Japan luxury:日下部家住宅とTANIYA(英語):茶室、土間の食事の間、総檜の風呂、地元の職人の家具、日下部家を専用ラウンジに
- 和の里 客室(英語):四つの棟に四つのスイート、離れの広さ、春慶塗、囲炉裏、合掌造り
- ザ・リョカン・コレクション 和の里(英語):加盟、本館から少し歩いた先の茅葺きの民家
- 日本政府観光局 高山とその周辺(英語):列車で名古屋から約2時間20分、富山から約1時間30分
- 日本政府観光局 スペイン エバ・ゲレーロ「飛騨の里と日本アルプス」(スペイン語):飛騨の建物30棟あまりの野外博物館
よくあるご質問
高山には何泊すればよいですか?
2泊あれば、古い町並み、商家の住まい、屋台会館の屋台を見られます。3泊にすると、工房や工場見学、町の外の宿、郊外で過ごす一日を、急がずに入れられます。
高山祭はいつですか?
毎年4月14日・15日に日枝神社、10月9日・10日に櫻山八幡宮で開かれます。日付は変わらず、観光協会によると市街地の宿は半年以上前に満室になります。ほかの日は高山祭屋台会館で本物の屋台を見られます。
高山から何を持ち帰れますか?
色を塗らない一位一刀彫の彫り物、飛騨春慶の盆や重箱、飛騨の家具です。彫り物は彫り師が受けてくだされば注文できることもあり、家具は選ぶ前に店と送り方を決めておくことをおすすめします。
名古屋や金沢から高山へはどう行きますか?
日本政府観光局によると、列車で名古屋から約2時間20分、富山から約1時間30分です。金沢からは白川郷を通る道になるので、二つを合わせて訪ねる方が多くいます。
高山で家具の工房を見学できますか?
飛騨産業が日によって13時から1時間ほどの工場見学を行っており、古い町並みの遊朴館 HIDA GALLERY もたいていの日に開いています。日程をご滞在に合わせて確かめ、彫り師や漆の工房へのお願いも私たちがいたします。
高山での日々をご相談ください
日本にいらっしゃる時期と、心ひかれる手仕事をお知らせください。泊まる夜の数、宿、祭か展示中の屋台、お願いできる工房を、理由とともに並べてお見せし、選んでいただけるようにします。
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